――もっとも古い読书の记忆といいますと。
贵志 : おとぎ话の絵本はたくさん読んだと思います。でもそれは、タイトルも覚えていなくて。はっきりマイフェイバリットとして覚えているのは、『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』『エルマーと16ぴきのりゅう』ですね。あの三部作は长いことお気に入りでした。ストーリーもさることながら、挿し絵がよかった。「ドリドル先生」のシリーズも、十数巻あるんですが、缲り返し読みました。それが幼稚园から小学校低学年くらいの时です。
――冒険や动物が出てくるものがお好きだったようですね。
贵志 : ファンタジー志向がその顷からあったんですね。その后は『少年少女世界の名作文学』という全集を1册ずつ买ってもらっては読んでいました。たぶん、全50巻のうち、40巻くらいは読んだと思います。『罪と罚』や『アルセーヌ・ルパン』など、世界各国のさまざまな名作が子供向けにリライトしてありました。あれは子供に読书の楽しみを教えてくれる、いい企画だったと思います。この全集を読みつつ、他に『しろばんば』や『路傍の石』なども読んでいました。
――幼い顷からそれほど読んでいたとは! とりわけ本好きの子供でした?
贵志 : 亲戚の家に游びに行っても、いとこたちと游ぶのではなく、胜手に本棚から本を抜き出して読むような子供でした。完全にインドア派でしたね(笑)。
――特に好みのジャンルがある、というわけではなく、乱読派ですか?
贵志 : 『少年少女世界の名作文学』になんでも入っていたので、どんなジャンルも受け入れるような素地はできていたと思います。河出书房から出ていた、世界の古典を集めた、箱も装丁も绿色の『世界文学全集』も読みました。确かディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』もそれで知ったと思います。あれは本当に感动しました。绿もおもしろかったんですが、赤い装丁の吉川英治全集で『三国志』を読んだときには、本当にしびれましたね。それが小学校高学年の顷だと思います。
――大长编が好きだったんですか。
贵志 : 読むのはほとんど大长编でした。苦にはならなかったですね。『デイヴィッド・コパフィールド』はとにかく物语として面白かった。次にどうなるのか分からない中で、キャラクターの使い方が実にうまくて。ミコーバーという、非常にだらしない印象の男が最后に救世主になったり、スティアフォースという、主人公が憧れるようないい友人が、成长して変化して、それがストーリー络んでくる。物语の喜びを初めて味わうような気持ちでした。それにかなりの长编ですから、最后まで読んだ时には达成感もあった。『三国志』もそうした喜びがありました。クラスでは『宫本武蔵』を読んでいる人のほうが多かったかな。昔は自分が一番详しいと思って、あの合戦で使われた秘密兵器は何か…などとクイズを出して喜んでいたんです。最近はマニアが多く、私よりも细かく知っている人が多くてガッカリしています(笑)。
――そうした本は、どうやって见つけていたのでしょうか。
贵志 : 书店ですね。町に书店がたくさんあって、毎日どこかしらに通っていました。当时は町の书店にも古典があったんですね。お店の人も、子供が古典を立ち読みしていても、文句を言わなかった。非常に寛容な目で见てくれていました。ですから、中学生の顷、一时期立ち読みがクセになって、駅前の本屋さんに毎日通い、分厚い本が三巻ある『聊斎志异』を、しおりをはさみながら全部読みました(笑)。でも1回も文句を言われませんでした。途中で他の本も买いましたし、全巻読み终わった后で、ちゃんと买いましたから。
――『聊斎志异』もいろんな翻訳があるとは思いますが、难しい汉字が多くて中学生にはかなり难しくないですか。
贵志 : 汉语に日本语のルビがふってあってかろうじて意味が分かる程度でした。それは子供にとってどうかという考えもあるとは思いますが、ここまでしか分からない、と决めつけることなく、一绪くたに头に入れたのはよかったですね、今にして思えば。
――ちなみに、かなり怖い话も収录されていますよね。ここでホラー志向が…。
贵志 : 确かにそうですね。ただ、一番怖いと思ったのは『雨月物语』でした。
【日常に退屈していた中学生】
――小中学校で古典を网罗されたわけですね。
贵志 : そこからエンタメにいきました。中は30分くらいの电车通学だったんですが、その间が退屈でしょうがない。最初は大きな古典の本を持っていったんですが、どうも読みづらくて、文库を买うようになりました。それでミステリとSFを読むようになったんです。1番読んでいた时は、行きだけで1、2册読みました。
――読むのが速いんですね!
贵志 : 今よりはるかに速かったですね。朝から晩まで、1日で7册読んだこともありました。しかも、その中には结构分厚い本も入っていて。映画をはしごする感覚でしたね。
――は、速い! 国内外、どんなものを?
贵志 : どちらもですが、翻訳が多かったでしょうか。筒井康隆さんの『SF教室』という名著がありまして、そこに海外编、日本编それぞれ名作が挙げられていたんです。全部読んだんですが、すごいのは、1册も外れがなかったこと。あれで完全にSFにハマり、それが未だに続いています。海外编から入って、ジョン・ウィンダムの『トリフィド时代』も読みましたし…。同じ本が复数の出版社から訳されているものもあったんですが、当时はおこづかいが限られていたので、早川と创元だったら、安い创元から読んでいました(笑)。
――SFにもいろいろありますが、どんなものが好みだったんですか。
贵志 : 最初に梦中になったのは地球破灭モノです。文明が崩壊して人がたくさん死ぬという。そんなのばっかりでした。そのテーマは読み尽くしたと思います。同じテーマでもアプローチがまったく违うんですよね。ネヴィル・シュートの『渚にて』は纯文学に近い作品で、感动の岚、という感じでした。チャールズ・エリック・メインの『海が消えた时』は『消えていく海』という题名のジュブナイルで一回読んでいて、その后にポケミスで読みました。核実験をしたために海の底に亀裂ができて、水がなくなるという荒唐无稽な展开なんですが、その后にいかに人々が大変な思いをするかというところがリアルでしたね。
――终末思想にハマったのはなぜでしょうか。
贵志 : 今にして思えば、毎日毎日同じことの缲り返しで、刺激がなくてうんざりしていたんです。电车に乗って换えって、それだけでほとんど时间がない。行き帰りの间に本を読むことが唯一のはけ口だったんです。中学生の时は、本当に退屈していました。
――中学生ながら、谛観というか、达観しているといいますか…。
贵志 : ハスに构えているような感じはありましたね。
――その顷、将来の梦などはあったんですか。
贵志 : 一番は、本屋さんだったんです。自分が経営しているなら、立ち読みをしても追い立てられることもなく、読み放题ですから。しかも店を闭めたら、あとは自分の书库みたいなものですよね(笑)。それは本当にゴージャスなことだと思っていました。でもだんだん、それがいかに大変な仕事か分かり、中学生の终わりくらいには、ちょっと厳しいかな、と思っていました。
――ご自身でSFを书いてみたりはしなかったのですか。
贵志 : プロット的なものは书いていました。终末モノをたくさん読んでいた顷に、自分だったらもっと恐ろしいものを书けるんじゃないかと思って。その时に书いたのは、冬虫夏草の、人间に寄生するバージョンのものが広まってしまって…という话を书きました。人がバタバタ倒れて、その背中からは冬虫夏草が生えているという。
――そうしたSFを书くことに兴味があった、という面が、今年刊行の『新世界より』に繋がっているんですね。
贵志 : SF志向はありました。いつか书きたいと思っていました。
――ちなみに、ミステリも読まれた、というのは…。
贵志 : ミステリは、创元推理文库でクリスティーやヴァン・ダイン、エラリイ・クイーンといった、昔の本格ミステリを読みました。『グリーン家杀人事件』というような。もうひとつ、「ペリイ・メイスン」のシリーズも好きで、あれもほぼ全部読んだと思います。