井伊直政が壮年で鋭気甚だしい頃、家康より付けられた旧武田家の者達は連署して
諫書をささげた。その中にこうあった
『人は必ず、向かい合う対象を思い設けるべきです。
私達の前の主君のことを申すのもいかがかとは思いますが、武田信玄は若き頃より、
一つとして心よりの善事は無い人でした。しかし常に越後の上杉謙信と向かい合い、
謙信に勝るべきと、努めて励まれていました。であるからこそ、信玄は一生の間に手を下ろしたる
大事の合戦五度に及びましたが、大きな敗北はしなかったのです。
殿にも、本多中務大輔忠勝殿を以って、向かい合う相手として勤めて劣らないよう
励んで下さい。』
諫書をささげた。その中にこうあった
『人は必ず、向かい合う対象を思い設けるべきです。
私達の前の主君のことを申すのもいかがかとは思いますが、武田信玄は若き頃より、
一つとして心よりの善事は無い人でした。しかし常に越後の上杉謙信と向かい合い、
謙信に勝るべきと、努めて励まれていました。であるからこそ、信玄は一生の間に手を下ろしたる
大事の合戦五度に及びましたが、大きな敗北はしなかったのです。
殿にも、本多中務大輔忠勝殿を以って、向かい合う相手として勤めて劣らないよう
励んで下さい。』