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倾国の人、赵飞燕
赵飞燕。前汉末、11代皇帝成帝の宠爱を受けた佳人。
痩身可怜な美女で、掌の上で舞えるようなその軽やかさは、まるで空を飞ぶ燕のよう。
「佳人薄命」や「倾国」の代名词ともなっている歴史上の人物。
高贵の出とも、卑しい身分の舞姫であったともされる。
11代皇帝成帝(在位BC33~BC7)は、赵飞燕の美しさに入れ込み、飞燕の妹の合徳ともども、爱人として后宫に上げた。
ほっそりとした姉の飞燕に対して、妹の合徳はグラマラスな美女だったという。
両极端の美女を得た成帝は酒色に耽り、浪费と爱欲の虏となった帝は、堕落し国を疲弊させ、政を疎かにしてしまったために、汉帝国は衰え灭亡へと向かった。
皇后许夸は帝の宠を失い廃位されてしまい、代わって飞燕が、BC16年に皇后の座に升りつめ、
赵姉妹に耽溺した成帝は、淫れ荒んだ日々を送ったためか、BC7に崩御した。
飞燕は子を得ることは无く、帝が后宫で他の女官に产ませた皇子を抹杀したとも云う。
妹の合徳は、帝の死因について疑惑を向けられ、自杀に追い込まれた。
成帝亡き后、飞燕は次の皇帝として、彼女に贿赂を送って取り入った成帝の甥の刘欣を推し、欣は皇帝(哀帝)となった。
飞燕は皇太后の座を得たが、哀帝は在位わずか6年にして没した。
拠り所を失った飞燕は、后に帝国を簒夺する王莽によって、国を乱したとして罪を负わされ、その地位を夺われた。
かつて皇后、皇太后であった飞燕は、さらに、庶民にまで落とされ、悲叹にくれて自杀して果てた。
赵飞燕は、まさに倾国の佳人となってしまった。
史上屈指の美女飞燕は、悪女としても数えられている。
唐土(もろこし)の四大美人と谓えば、杨贵妃、王昭君、西施、貂婵。
あるいは、西施、虞美人、王昭君、杨贵妃などが上げられる。
しかし、史书を読んでみても、杨贵妃や西施などには人间的な魅力を感じられない。
美しさは美人の大きな要素ではあろうけれど、気概のある人物に一层の美を感じる。
私の个人的な趣味からすると、
卓文君、虞美人、王昭君、赵飞燕。
乃至は...卓文君、虞美人、忽兰可敦、赵飞燕であります。
イラスト馆たま、
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